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小島伸幸氏特別インタビュー

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元日本代表ゴールキーパー 小島伸幸氏 特別インタビュー TOPへ


ザスパ草津〜引退



— フランスW杯後はアビスパ福岡へ移籍され、2001年には一度引退されていますよね。ザスパ草津でもう一度現役としてチャレンジしようと思われたのは・・・

小島氏:

もともとアビスパ福岡を自由契約になったときに、サッカー自体はまだ続けようと思ったのですが契約するチームがないという状態でした。Jリーグでプレーはしたいけれども、チームは全チームからのオファーを体よく断られているという中で、どうしたらもう一回そこでプレーできるのかと考えたときに、確かに1つ下にはJFLというアマチュアの最高峰のカテゴリーのリーグがあります。でも、JFLに行ったからといって、あの当時はJリーグに行かないのがJFLでしたから、そこでやるよりは群馬県の1部リーグからだけれども、勝ち上がっていってチームを整備して、Jリーグに上がる意思があるチームにお世話になったほうが私の当初の目標は達成できると思いました。
ひょっとしたらサッカーのレベルは落ちるかもしれないけれども、そこでチームとともに上に上がっていければもう一度Jリーグでプレーできます。保障はないですが、可能性はあったのでそこにかけるというところですね。こんなにとんとん拍子で事が進むとは思わなかったですけれども


— ザスパでは3年でしたか。

小島氏:

4年目でJです。本当にうまくいきすぎたというのはありますけれどもね。


— 年齢との戦いもある中で時間を無駄にしたくないという気持ちはすごく強かったのではないですか。

小島氏:

足踏みをしてしまうとチームがなくなってしまいそうで。


— 現実的なところで。


小島氏:

サポートしてくださる企業の方はあったのですけれども、やはり規模が大きくないというのもあるので、同じカテゴリーに2年間いるところに果たしてサポートしてくれるかどうかというのは非常に微妙でしたし、本人たちは「足踏み=チーム消滅」というぐらい危機感を持ってやっていました。JFLに上がったときに、やっとここで一息つけるかなという感じでしたね。
その中でありがたかったのは、ザスパ時代にウールシュポルトさんにサポートしていただいたことですね。初年度、ファーストリテイリングさんがチームのユニフォームを作ってくださっていたのですけれども、やはりゴールキーパーのものがそういったところにあるわけもなく、ウールシュポルトさんだけは練習着やゴールキーパーのユニフォームを提供してくださって非常に助かりました。もうJリーグを離れてそんなに宣伝広告のメリットもないところに、グラブやシューズも全部提供していただいて非常に助かった記憶がありますね。


— 最後の天皇杯(2004年)のときは勝ち進んでいってセレッソや当時Jリーグ2連覇中のマリノスを破ってベスト8まで進みました。

小島氏:

マリノスに勝ったときはちょっと恩返しができたかなと。


— マリノス戦は感動的な試合でしたよね。テレビでもだいぶ取り上げられて。

小島氏:

2人退場になって一方的に攻められていたので、私が映る回数が多かったです。コートとしてはほぼハーフコートでゲームをやっていましたので、移るのはこちらのゴール前ばかりでしたね。ヒザを怪我していたので、私が痛がるたびにカメラに抜かれる、というね。



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